役作りのための減量について| 1000カネ #018

今日はソファを売った。
そして今日の進捗はなし。


ステーキを食べに行った。
なんか自分のことを嫌に思った1日だった。

こんな自分は自分らしくない。
変わろう。

俳優さんたちの減量、あれは一体なんなのか

ふと思ったことがある。

俳優さん、女優さんたちは、
撮影のために減量をする。
そしてなぜかいとも簡単そうにそれを達成する。

役作りのために20kg、25kg減量しました。

とか。そういうことをなんか当たり前のことのように、平気で言う。
でもなんかおかしくないか。

普通の、一般人のダイエットの枠組みで考えるとすごいこと。
世界仰天の番組で特集されるようなこと。

自分たちにとってはできたらすごいこと。
俳優たちにとってはできて当たり前のこと。
なんか、そんな違和感がある。
同じように感じてる人がいると思う。

これは一体なんなのか?

「いや仕事、役作りのために必要だから」

それで済まされるのか?

かたや、相当な決意をしてダイエットを始めても
やっぱり難しくて失敗する人がいる。というかそんな人が多数。

これは一体なんなのか?
才能の違い?俳優で成功するような人は、減量も当たり前にできて当然?

そういうことじゃない気がする。

意識の違い

それは意識の違いじゃないか?

普通に考えたら辛いことでも、然るべき意識を持てばそれは達成することができる。
俳優という、公に永遠に残る作品の中で、しかも観る人の心を動かさなければいけない、
ということを考えると、減量するというのは、やっぱり「疑いのないような決定事項」になる。


減量しないという選択肢はない。
そんな状況に置かれてるからこそ、そういうことが可能なんだと思う。
もはや、やるかやらないかじゃなくて
やる以外の選択肢がないということ。

しかも大抵明確な期限がある。クランクインまでにこの体になっておかないといけない。
だから俳優がすごいから、才能があるからじゃなくて、(それもあるかもしれないけど)
実は、人間はこういう状況の時に能力を発揮する
というだけのことなのかもしれない。

「できたらいいな、できたらすごい」じゃなくて

「そうなるしかない、そうなること以外考えられない」

それを達成することを決定事項として自分が認めてしまったら、
あとはそうなるしかない。
どうやってやるかは知らないけど、とにかくそうなるしかない。

「イケそうだったらいく」みたいな、自分の縄張りから届きそうなものだけに手を伸ばすような感じじゃなくて、
自分の今いる場所に関わらず、とにかくそこに到達しないといけない。

コンフォートゾーンからでて、しかももうそこには戻れないという状況。
お化け屋敷に入ってしまったら、もう覚悟を決めて出口まで突破しなきゃいけない。
そんな状況。

多分そんな時が人間が一番能力を発揮できる時なのかもしれない。

その意識改革をしよう。
減量しよう。

Wandering wondering.