こんにちは、シンです。
先日、下記のツイートをしました。
別の場所に行くために「移動する」という大前提があるけど、なんで一瞬でできないんだろうとたまにむしゃくしゃする時がある。実際にどこでもドア的な世界が実現したら、世の中はどうなってしまうだろう。誰が喜んで、誰が悲しむだろう。
— シントレイル@人生2周目 (@shintrail1) August 10, 2019
ドラえもんとか、スタートレックとか、近未来を描いたフィクションの中には「瞬間移動」という概念が出てきますね。
- ドラえもん・・どこでもドアで念じたところにサッと移動できます
- スタートレック・・コピー&ペーストの考え方で人間をスキャンして好きなところにスキャンしたものを召喚できます。なおコピー元の人間は削除されるみたいです(倫理的にややこしいですが)
でも最近、世の中がガラリと変わり始めていく中で、今までフィクションだと思っていたことが次々と現実になっているのを目の当たりにすると、果たして「瞬間移動は無理」という前提で進み続けていいのか、と真面目に考えることがあります。
そこまで深刻に思ってはいませんが、日頃から常識を疑う姿勢でいるとふと面白い着想を得られることがあります。今回は瞬間移動についての考察をしたので、ご紹介します。
どこでもドアが現れ、瞬間移動が可能になった世界
移動って大変ですよね。
僕も大学生の頃は家から学校まで1.5時間ぐらいかかっていました。
なす術もなく、移動というのは全人類に課せられた制約です。
歩いたり、車や電車、船や飛行機などあらゆる手段を使い僕たちは毎日目的地へと向かい、手段はどうであれ移動は避けられません。
そんなの当たり前だから、これからもずっと乗り物を生産したり、道を直したり作ったりするわけです。自動運転とか、イーロンマスクのハイパーループ構想とか、多額のお金を投じてより良い移動手段を開発しようとしています。
僕は実際の現場にはいない人なので妄想の域を出ませんが、そこを飛び越して、「瞬間移動ってまだできないの?」と素朴に思うときがあります。
実際にはどんな世界だと思いますか?
【メリット】瞬間移動って、ちょう楽
どこでもドアがある世界がどんなものなのか、今までの人生で何度か想像してるかもしれません。
僕の妄想はこんな感じです。
遅刻がなくなるかも
多分なくなりますよね?
移動中に渋滞に巻き込まれることもないし、移動時間がそもそもないので慌てて準備するということもなくなると思います。
ただ、着替えたり身支度したりはしなければいけません。呑気な性格の人などは、やっぱりギリギリに起きて、遅れてしまうということはありそうです笑。
交通費がかからない
文字通り、交通費がおそらくゼロになるんじゃないでしょうか?
車がそもそも必要ないからガソリン代はかからないし、電車、バス、タクシー代などもかかりません。
いいですね。
どこでもドアですね。
タダで世界を放浪できる?
もっと楽しい例だと、好きな場所に一瞬でいけます。
日本にかぎらず、世界のどこでも自分を瞬間移動させることができます。
富士山頂に瞬間移動して日の出を拝んだり、ニューヨークのマンハッタンに瞬間移動してスパイダーマンにあいさつをしたり、アフリカのジャングルに瞬間移動して動物とたわむれたり・・・というのが1日で、いや数時間で可能になります。
【デメリット】どこでもドアの現実問題
ただ実際に、「好きな時に、好きな場所に一瞬で移動する」というのが現実になってしまうと、いろいろややこしいことにもなりそうです。
不法侵入問題
例えば好きなアーティストのコンサートがあるとします。
そのコンサート会場に瞬間移動できてしまったら・・・入場料の問題だったり、収容人数の問題だったりが出てきますよね。
また極端な例だと、男が不純な動機で温泉の女湯に瞬間移動してキャー、とか倫理上、法律上入ってはいけないところに瞬間移動できてしまうと、かなり問題です。
嬉しくない人たち
瞬間移動が当たり前になると、「移動」をベースにビジネスをしている人たちは甚大な被害を受けます。
バス、タクシー、電車などは需要が圧倒的になくなるので倒産。
航空産業も自動車産業の存続もかなり怪しいですね。
【対策】瞬間移動制約法
なので、物理的な瞬間移動が可能になっても社会的、法律的、倫理的にNGとなる場合がありそうですので、それに際して法律・条例の整備が必要になってくると思います。
「ポケモンの空を飛ぶ」的制約
「どこでも好きな場所に」制約なく瞬間移動できてしまうと、例えば観光業で生計を立てている人たちは困ってしまいますよね。
他にも様々に理由で困る人たちが出てくるかもしれないので、だから例えば「ポケモンの空を飛ぶ」のように「今まで自分が行ったことのある場所にのみ瞬間移動を許可する」みたいな決まりを作る動きが出てくるかもしれません。
ポケモンの空を飛ぶ:
ポケモンのようなRPGゲームはたくさん移動が必要です。
毎回行きたいところに徒歩や自転車に行くのは面倒なので、「そらをとぶ」を自分のポケモンに発動させることで好きな街に一瞬で移動することができます。
ただ空を飛べる場所は、主人公が今までに訪れた街のみです。
瞬間移動禁止スポット
「お店の中」とか「建物の中」などの私有地は瞬間移動を禁止した方が良いですよね。不法侵入ですし、プライバシーの侵害など、迷惑する人が出てきます。
あとは、危ないところ、急な崖とか、海底100メートルとか、地上100メートルとか、地中100メートルとか・・そういう命に危険がありそうな場所に瞬間移動を許可するのはよろしくなさそう。
「他人に迷惑がかからないか」「命に危険がないか」に基づいて、瞬間移動可能スポットが限定されそうです。
瞬間移動料・瞬間移動ライセンス
世界中の全員が自由自在に瞬間移動できるとなると、よく思わない人たちが出てきます。
瞬間移動は移動革命で、ビッグビジネスです。国が国民からあらゆる税金を納めさせるのと同じように、一定のお金を払える人にだけ許可したり、住民税や年金などと同様に、月額で料金を取ったりということにもなるかもしれません。
あとは、ある一定の条件を満たした人にだけ瞬間移動を許可する。年齢であったり、スキルであったり。例えば子供に瞬間移動を許可すると、親などは心配してしまいます。
僕たちの大好きなハリーポッターにも瞬間移動できる「姿現し、姿くらまし」の魔法がありますが、それに関しても制限があります。
- 魔法省主宰の姿現わし/姿くらましの使用許可試験に合格した17才以上の魔法使いのみに使用許可が下りる。ホグワーツの6年生はこの魔法を習い、試験に備えて練習する。
- 姿現わし防止呪文や姿くらまし防止呪文がかかっている場所(例:ホグワーツ城内)では使えない。ただし、魔法生物である屋敷しもべ妖精や不死鳥は対象外で、自由に移動できる。
- 難易度は、移動する距離が長いほど上がる。
(出典:『ポッターポータル』 https://hpsfan.com/apparition/ )
トラブルを避けるためには、やはり規制が必要のようです。
なんでも簡単にして、無駄を排除する世界【移動の本質とは?】
そんな感じで、どこでもドアが現実になった世界を考えてみましたが、あなたは何を思いましたか?
僕が感じたのは、「なんでも簡単にできてしまう世界ってどうなんだろう」という少し複雑な気持ちです。
別に瞬間移動に限ったことではないのですが、今世の中がどんどん便利になっていっています。
スマホでほとんどなんでもできてしまったり、様々な新しいビジネスが出てきて、僕たちのニーズに応えまくっていくことで、どんどん「無駄のない」世界になってきています。
でも「無駄」ってそもそもなんですか?
無駄を排除することは本当に良いことですか?
移動は無駄なのか?
どこでもドアや瞬間移動という考えが起こるのは「移動時間は無駄」という考えが根底にあるからじゃないでしょうか?確かに、移動は早ければ早いほどいいというのは、僕も賛成です。
でも移動って「目的地に行くための手段」以外にも、他の要素があります。
それは、「移動そのもの中で起こりうること」です。
本当に無駄なことは何一つない
どこでもドアが可能にするのは「目的地へ瞬間的に移動すること」一点のみです。
一方、通常の移動には「目的地に到達することと、それまでの時間で起こりうること」という要素があります。
その時間で何が起こるかは、人それぞれです。
- 窓から見える景色を楽しむ人
- ツーリングやサイクリング、ドライブのように「移動自体を楽しむ」人
- 「ふとした出会い」を体験する人
- 移動中に勉強をする人
- ただただ「退屈だなぁ」と思う人
このように、移動の時間で、移動以外の何かが起こる可能性があります。
人生を振り返ると、充実していたり楽しかったりした瞬間というのは、偶然起こった場合が多いです。
幸せを手に入れるために計画通りに動くことも大事だけれど、意図していないところで純粋な楽しさや、人生の深みを感じることがあります。
そんなことを考えると「本当に無駄なことは何一つない」という気がします。
もちろん、全てが全て有意義なことである、と言うつもりはありませんが、
「一見無駄だけれど、ある側面では実は無駄ではなく、有意義なこと」というのがたくさんあります。
無駄なこと、めんどうくさいこと、意味がないと思うこと。
そういうことの一つ一つの中にも、あなたの意思さえあれば「自分にとって有意義な側面」を見つけられるはずです。
移動の側面 = 空白の時間 = 豊かさ
急いでいて切羽詰まっている場合は除きますが、移動の時間に余裕があったりするとそこに「空白の時間」が生まれます。
「特に何をするでもない、何を見て、何を考える、何を喋るかは自分次第」。皆さんも経験があると思いますが、そういう時間って結構大事じゃないでしょうか?
- 車を運転している時に、いろいろ考えにふけっていた
- お風呂に入ってリラックスしているときに、昔の楽しいことを思い出す
- 友達と他愛もない話をする
「人生のゴールに直接関係のない回り道的なこと」= 冗長的なことは、ありすぎるのは問題だけれども、自分の生活の中にその余裕がない人はいませんか。
どうでもいい会話をしたり、行かなくてもいいところに寄り道をしたり、必要のないものを買ってしまったり。それがあなただけの人生の大事なエピソードになります。
目標に向かって一直線に進むのもいいですが、そこから少し道を逸れた冗長的なこと、無駄なことが、振り返ってみると逆に豊かな人生を演出するような気がします。人間を人間たらしめるものの一つとも言えるかもしれません。
だから、瞬間移動に関して言えば、必要に応じて使い分ければ良いと思います。
いますぐ目的地にたどり着くことが最重要であれば、瞬間移動すれば良いし、
別にそうではない場合、たどり着くこと以外に何かを期待する場合は普通に移動することを選んだり。
人生のあらゆる側面において、そういう選択肢を常に頭と心の中に残しておくことで、人生がもっと良いものになるんじゃないかなと、純粋に思いました。
人生は旅、とたくさんの人が言います。
道に外れること、回り道をすること、失敗をすることも丸々含めて人生の旅です。
今現在がどんなところであっても、せっかく旅路にいるわけだから、どんな旅であれ、その旅自体を楽しむ心を持ち続けられたら素敵だと思います。
瞬間移動も素敵だけれど、移動して残すあなただけの軌跡も素敵です。
本題からそれました。