昔はなんで良かったのかふと考えていた。
自分でいう昔で良かったころは大学生までの時代。
今と何が違っていたのかというと、
「集中する対象が限られていた」
ということ。
今の時代、便利になって、なんか、なんでもある。
googleがあり、SNSがあり、youtubeがあり、chatGPTがあり、
とにかく毎日目にする情報量がすごい。
処理しきれなくなって、簡単な方に逃げてしまってるような印象もある。
全部見切れないからショート動画だったりSNSだったり小さく魅力的な情報をサクサクと見ていって、
自分の、なんだかよくわからない隙間を埋めようとする。
全て自分の手の届く範囲にあるから、自ら立ち上がって手に入れようとしなくていい。
世界が広がったようで、逆に狭まったような感じなんじゃないか。
昔はどうだったか。
多分、我慢をしていた。
選択肢が少なかった。
でもその中に、なんとも言えない充実感があった。
高校生時代は、
野球に明け暮れた時もあったし、
家に帰ったらひたすら洋画のDVDを観て英語を勉強してた時もあった。
家が停電した時は懐中電灯をつけて読書をしたりした時もあった。
大学時代は、
友達付き合いが活発で、楽しくて
学校の行き帰りのジープはすることがないから青空文庫からダウンロードして小説を読んだり、
失恋して交通事故にあって休学した時は、他にやることがわからなくて本当に一日中ひたすらピアノを練習したりした。
そしてとにかくパソコンで映画を大量に観まくったりもした。
毎日触れる情報が少なくて、
常に何かを我慢するような感じがあったけど、
その中でできることを考えてやって、
なんか底知れない充実感があった。
世界は小さかったけど、深さがあった。
そして自分の知る世界の外側に思いを馳せながら世界の広さを感じていた。
昔は良かった、と言う人はそういうことなんじゃないか。
子供の頃、今観ても大して面白くないものが
ものすごく楽しかったのはそういうことなんじゃないか。
それは世界が小さかったから。
もしくは大きい世界の小さなところで生きてきたから。
集中する対象が限られてたから、
逆にその一つ一つに対してより集中することができていた。
広く浅くと、狭くと深く。
ネットフリックスで時間を延々とかけて観るべき映画を探すか、
観たい映画をTSUTAYAに足を運んでDVDを借りてくるか。
そういう違いがある。
もちろん人によって違うとは思うけど。
情報が少ない方がいい時がある。
旅行に行く時、スマホは持って行かずに一眼レフだけ持っていくとか。
スマホは手放して、パソコンとガラケーだけにするとか。
情報を処理しきれない今の時代。
何かよくわからない慢性的な疲れがある。
自分の意識を分散させているものをシャットアウトすることで
見えてくる世界がある。
何を見て、何を見ないのかを決める。
そんな生活に一度戻りたいと思った。
基本に立ち返りたいと思った。